ひと
インタビュー・
クロストーク
2025.12.23 Tue
18歳で故郷・青森を離れ、1000km離れた芦屋で訪問介護の仕事を始めた平野さん。
家電も揃っていない一人暮らし、道に迷い、バイクで転び、方言に戸惑いながらも、気づけば入社5年目を迎え、サービス提供責任者として現場を支える立場になりました。
高卒で県外へ出るという選択の先に、彼女は何を感じ、何を積み重ねてきたのか。
その歩みを、本人の言葉で振り返ります。
Index
#1 青森の端から県外へ。「出たいと思った時が、その時だ」と背中を押してくれた言葉
#2 施設介護ではなく、訪問介護に魅力を感じて
#3 家電ゼロ、道に迷う毎日、バイク転倒。
#4 ロジケアで育った私。支えてくれた“人の温度”。
#5 高卒から働くあなたへ
#6 「プラウド(誇り)」という名前に込めた思い
#7 杖を買うその理由に耳を傾ける杖屋さん
青森の端から県外へ。「出たいと思った時が、その時だ」と背中を押してくれた言葉
私の地元は青森県の北端、龍飛岬の近く。海岸から北海道が見えるほど、本当に“日本の端っこ”です。
もともと県外で働きたいという気持ちは強くありましたが、当時はコロナ禍で迷いもありました。そんな中、父がくれた言葉があります。
「自分がちょっとでもそう思ったなら、一旦やってみたらいい。
出たいと思った時が、その時だ。
ただ、親元から離れると決めたからには甘い気持ちで帰ってくるな。」
この言葉に背中を押され、思い切って飛び出すことができました。
卒業式の翌々日には芦屋で初任者研修資格取得のスクールが始まりました。
施設介護ではなく、訪問介護に魅力を感じて
人と関わる仕事がしたいという気持ちはずっとありましたが、自分に何が向いているのかは全く見えていませんでした。とても田舎なので、選べる職業は限られていたこともあります。
保育園、小学生、中学生の頃から学校行事で介護現場に行く機会があり、介護にはもともと馴染みがありました。さらに、母がデイサービスの介護職員をしていたので、良い面も大変な面も感覚的に理解していました。そのこともあって、自然と介護の仕事を意識するようになりました。
地元は医療体制が十分ではなく、高齢者は「施設か病院」の選択肢しかありませんでした。しかし進路を調べる中で「訪問介護」という言葉に初めて出会い、在宅という選択肢があることを知りました。そこで興味を持つようになりました。
厚労省のサイトから「兵庫 介護」くらいのざっくりした検索でロジケアを見つけました。
訪問介護に強く惹かれ、他に2社ほどリストアップしたものの、ほとんど覚えていません。
面接もロジケアだけ。「ここだ」と思った直感を信じて飛び込みました。

家電ゼロ、道に迷う毎日、バイク転倒。
芦屋での生活は「分からない」から始まった
初めての一人暮らしの部屋には家電が何もありませんでした。
深く考えず、「都会だし、なんとかなるか」と楽観的にスタートしてしまったんです。
冷蔵庫がないので常温保存できる食材ばかり買い、洗濯はコインランドリー。
さすがに父に電話したら「まだ買ってないの?」と言われ、向こうのホームセンターで買った家電一式を丸ごと送ってくれました。
仕事で最初に困ったのは「道が全く分からない」こと。
もともと方向音痴で地図が読めず、訪問先にたどり着けないこともありました。
さらにバイクの運転。私は自転車すらまともに乗れないタイプで、バイクも恐る恐る。
転んだのは何度もで、壁や電柱に衝突したことすらあります。
交通事故こそありませんでしたが、最初の一年は片手で数えるほど転びました。
そしてもう一つの壁が“方言”。
関西の利用者さんに「これ直しといて(=片付けて)」と言われて「壊れてないけど…?」と戸惑ったり、
「ほっといて」の意味を取り違えたり。捨てるという意味なんですね。
青森では片付けるは「とろける」、捨てるは「投げる」。
TVで関西弁は聞いていましたが、実際の会話で文化の違いを強く実感しました。
大変なことは多かったけれど、続けてこられたのは会社の人たちのおかげです。
遠くから来た私を気にかけてくれる人が多く、あたたかい環境だと感じています。

ロジケアで育った私。支えてくれた“人の温度”。
ロジケアで働いて良かったと思う一番の理由は、人のあたたかさです。
遠く青森から来た“田舎者”の私を、先輩も同期も本当によく気にかけてくれました。
休みも取りやすく、分からないことは聞けばすぐに教えてくれる。
「話しやすさ」と「気にかけてもらえる感じ」が、仕事を続けられた大きな支えでした。
同期は4歳上の大卒が多く、最初は緊張してずっと敬語でしたが、「そんなんええって」と言ってもらえた空気が嬉しかったです。
今ではすっかり仲が良く、ラクに話せる関係になりました。
2025年7月にサービス提供責任者に指名されました。
最初は「自分なんかには無理」と思う気持ちもありましたが、経験を積めばいつかはサ責になる制度なので、心づもりはできていました。
これまでは組んでもらったシフトをこなす側でしたが、今は“みんなが安全に移動し、無事にシフトをこなせるように組み立てる”側になりました。
サ責に就いて半年。不安や心配は尽きませんが、まずは新しい業務をしっかり覚えたい。
目標は、みんなのために動けるサ責になることです。

高卒から働くあなたへ
地元には年に1回帰るかどうかですが、冬になると雪が恋しくなります。
芦屋はあまり雪が降らないので、冬でも「長い秋」のように感じます(笑)。
一番恋しいのは、お母さんの「けんちん汁」。あれだけは誰にも作れません。
進路に迷っている高校生には、「就職という道もいいよ」と伝えたいです。
進学組が多数派の中で就職を選ぶのは大きな分かれ道ですが、いち早く社会に出たことで私は本当に成長できました。
5年前は何も知らない、資格もない状態からのスタートでしたが、初任者研修、介護福祉士と資格を取らせてもらいました。
日々の仕事の一つ一つが勉強になり、今では現場のリーダーとして采配を振るうポジションに就いています。
お給料は、他の介護施設を経験した方からは「いい」と聞きます。
私は早朝など時間外の業務にも行くので、その分しっかり還元されています。
訪問介護は一人で現場に行く分、覚えることも責任もありますが、
その分、自分の力になって返ってきます。
「やってみたい」「頑張ってみたい」と思う気持ちがあるなら、ぜひ挑戦してほしいです。
Written by
訪問介護員/サービス提供責任者
平野 亜実 Ami HIRANO
「娘さんを預かる気持ちで」社長から平野さんへ
親元を離れて遠くから来た18歳の子。
娘さんを預かる気持ちでいました。
バイクが不慣れだったので、僕自身が原付の運転を指導しました。
無線インカムを付けて後ろから一緒に走りましたね。
自分にも娘がいるので、とにかく交通事故がないよう、怪我をさせないよう気を配りました
続くかな?と心配もありましたが、彼女のポテンシャルは初めから感じていました。
新卒入社は大卒・専門学校卒が多いけれど、高卒だから劣るなんて思ったことはありません。平野はとても安定していて、感情のアップダウンが少なく穏やか。
機嫌を露骨に出すことがない点では、むしろ大人です。
満5年続けて介護福祉士を取得し、この夏からサ責にも昇格。
今後はケアマネにも挑戦してほしいと考えています。
難関資格ではあるけれど、実務経験年数が緩和される可能性もあり、順調に進めば“最年少ケアマネ”が誕生するかもしれない。
この先、ここで得た資格や経験は一生モノです。
もし違う土地で働くことになっても、ロジケアがなければ作ればいい。
介護福祉士もケアマネも、日本中どこでも必要とされる資格だから、選択肢も広がり安定します。
ぜひ挑戦してほしいと思っています。

Written by
株式会社ロジケア 代表取締役 社長
佐野 武 Takeshi SANO