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事業所だより・
イベントレポート

ロジケアが東京にやってきた!―辞めるはずだったケアマネが、東京1号店の管理者になるまで。

2026.02.16 Mon


事業所がなければ作ればいいじゃない


清澄白河で、ロジケア初の東京拠点が立ち上がったのは2025年5月のことです。
計画された東京進出というよりも、その始まりは、ひとりのケアマネジャーの人生の転機でした。




辞めるつもりだった。それしか選択肢がなかった

ロジケア清澄白河の管理者(ケアマネ)である彦根さんが東京行きを意識し始めたきっかけは、夫の転勤でした。もともと転勤族の家庭で、夫は数年前から東京勤務となり、単身赴任を続けていました。

しかし、娘の大学進学を機に状況が変わります。
会社の規定により、家族が別居を続けることが難しくなり、「家族で東京へ」という選択肢が現実味を帯びてきたのです。

ロジケアは関西中心の会社で、東京に拠点はありません。
「夫の元へ引っ越すことが決まった時点で、ロジケアを辞めるしかないと思っていました」

実際、東京での転職も現実的に考えていました。
ケアマネの仕事自体は嫌いではありませんでしたから、新天地で求人サイトを見たり、住む場所を考えたり、登録も済ませていました。

その話を、定期面談の場で上司に伝えました。


じゃあ、東京に事業所を出したらいいじゃないか

「正直、手放す選択肢はなかったですね」

そう語る佐野社長。
彦根さんは勤続8年。仕事ぶりも人柄も申し分ない存在でした。

引っ越しの話を聞いた佐野社長にとって、東京に行くという判断は理解できるものでした。家族の事情も合理的で、否定する理由はありません。

「東京に行くなら、東京で事業所を作ればいいじゃないか」

ちょうどその頃、彦根さんは主任ケアマネ研修を終え、管理者資格を取得したタイミングでもありました。

一方で、本人の気持ちは単純ではありませんでした。
芦屋で管理者の仕事を間近に見てきたからです。

とにかく大変そう。
はじめは「管理者なんて無理です」という答えでした。

ケアマネ業務は一人で完結できます。
でも管理者は、人を支え、人を育てる役割です。
それを自分が担えるとは、正直思えませんでした。

佐野社長の言葉には、「後進育成は専門職としての役割でもある」という思いもありました。

これまで育ててもらった分を、次に返していく。

その循環こそが、プロフェッショナルを支えてきた大事な要なのだと。

全く新しい事業所に転職するよりも、

ロジケアのやり方で仕事を続けられるほうが現実的だと感じていました。

社会保険や給与が変わることへの不安も、正直ありました。

最終的に背中を押したのは、「どうにかなるよ」という言葉でした。
その一言に、じゃあ少し甘えてみようかと思った。
辞める前提だった話は、いつの間にか東京出店の話に変わっていました。



清澄白河、土地勘ゼロからのスタート


彦根さんの夫の職場界隈や生活圏、不動産会社のアドバイスを踏まえ、東京1号店の場所は清澄白河に決まりました。

物件が決まり、申請や準備は本社主導で一気に進められました。
彦根さんが東京に来たのは5月。
来てみたら、もう事業所はできあがっていた、という感覚だったそうです。

とはいえ、東京での仕事は簡単ではありません。
地理は今もよくわかっていません。
スマホは手放せず、北に向かっているつもりが南に進んでいた、ということも日常的。

それでも仕事は動き始めました。
幸い、事業所のすぐ近くに地域包括支援センターがあり、佐野社長の熱心な営業もあり、依頼は順調に増えていきました。
「要支援も断らない」というロジケアの姿勢は、地域包括にも伝わり、歓迎されている手応えを感じていました。




東京は冷たい?不思議な人の縁と新しいつながり

清澄白河は、もともと一帯が倉庫街で、古さと新しさが混在する街です。
築何十年もの古い家がある一方で、新しいマンションやおしゃれなカフェも増え、にぎわいを見せています。
生活の街でもあり、スーパーマーケットや八百屋、薬局なども豊富です。
川や橋のある風景は、本拠地である兵庫の西宮や尼崎と、どこか似た雰囲気を感じたといいます。

兵庫では、不動産も工事も通信も、頼れる馴染みの業者とつながりがありました。
しかし東京には、その「いつもの業者」がいません。
地縁のない場所で、誰に頼めばいいのかわからない新規開業。
新しく業者とつながることは、決して容易ではありませんでした。

そんな中、ふらっと立ち寄ったバーで、マスターが気さくに話しかけてくれたことから、
工務店を紹介してもらえることになりました。
その場で電話がつながり、話は一気に進みました。

さらに、清澄白河の事業所には、この春、新たにケアマネとして加わることが決まりました。取引先として関わる中で、彦根さんの人柄に惹かれ、ここで働きたいと声をかけてくれた人です。

同じケアマネ業務でも、制度や方針の違いから、関西とルールが異なる場面もあります。
それでも「わからないことは聞けば、誰かが教えてくれる」。
新しくつながった地域包括やヘルパー、看護、福祉用具の事業所の方々と、コミュニケーションを深めながら進めています。

縁もゆかりもなかったはずの場所で、
人が人を呼び、少しずつ仲間が増えていく。

地方に住む人からすると、「東京は冷たい」という印象があるかもしれません。
でも、東京は思っていたよりずっとあたたかく、ロジケアを迎え入れてくれました。


一人からチームへ。これからの清澄白河。

この2月には、訪問介護事業所の開設も控えています。
兵庫から東京へ移るスタッフもおり、一人ぼっちで始まった拠点は、少しずつ「チーム」になろうとしています。

佐野社長自身も、50歳を超えての東京進出を「人生後半のチャレンジ」と位置づけています。

「正直、兵庫だけでやっていくこともできた。でも、やれるうちに勝負したかった」

この東京出店は、綿密な市場分析だけで決まったものではありません。
一人のケアマネの夫の転勤辞令、経営者の直感、人と人との縁。
偶然が重なりながらも、結果として必然だったようにも思えます。

事業所がなければ、作ればいい。
家族の転勤に際し、退職しか選択肢がなかったところに、「新しい事業所をつくる」というロジケアのユニークな発想と機動力が重なりました。

彦根さんは「居心地のいい職場にしたい」と話します。

「東京には東京のローカルルールがあって、正直わからないことも多い。
だから、これまでこの地域で働いてきた人たちが知っていることは、教えてもらいながらやっていきたい。そのうえで、ロジケアらしさも少しずつ取り入れていけたらいい」

大きな目標があるわけではありません。
日々の仕事や役割を、まずはきちんと続けていきたい。
そして、ゆくゆくは東京の事業所も、にぎやかになっていったらいい。

一人ぼっちの開業だった清澄白河のロジケアは、
少しずつ、大きな歯車が回り始めています。